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京都地方裁判所 平成8年(ワ)1356号 判決 1998年1月22日

原告

樋口博之

右訴訟代理人弁護士

中村和雄

大脇美保

被告

宗教法人教王護国寺

右代表者代表役員

砂原秀遍

右訴訟代理人弁護士

安武敏夫

鳩谷邦丸

別城信太郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  原告が被告の職員たる地位を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成七年一〇月以降毎月二五日限り金一七万八八七〇円及びこれに対する各弁済期の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、定年退職したとして平成七年九月二六日以降就労を拒否されている原告が、被告に対し、同人の職員たる地位の確認を求めるとともに、賃金の支払いを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  当事者

(一) 被告

被告は、真言宗の教義を広め、儀式、行事を行い、信者を教化育成すること等を目的とする宗教法人であり、一般的には東寺と呼ばれている。

(二) 原告

原告は、平成二年五月一六日ころ、被告との間で、期間の定めのない雇用契約を締結し、以後東寺の講堂の堂守として勤務してきた。

原告の勤務内容は、午前八時ころに出勤し、講堂内外の掃除をし、午前九時前後から食堂で朝礼があり、午前九時一〇分ころから講堂の献灯、供花の水取替えを行った後、午後〇時から一時ころまでの休憩をはさんで午後四時ころまで講堂内の堂守ボックスにおいて御札や書籍などの販売を行い、午後四時から四時三〇分ころまで掃除後始末をして退勤するというもので、休日は週一回(水曜日あるいは土曜日)で、そのときはアルバイトの者が講堂の堂守の仕事を行っていた。在職中原告の勤務態度に問題はなかった。

原告の賃金は、①基本給が日額六一〇〇円×出勤日数、②通勤手当が月額一万八二七〇円、③食事手当が月額二〇〇〇円で、原告は、前月二一日から当月二〇日までの賃金を当月二五日に受け取っていた。原告は、平成七年七月分の賃金として金一七万二七七〇円、同年八月分の賃金として金一八万四九七〇円、同年九月分の賃金として金一七万八八七〇円をそれぞれ受け取った。原告の三か月間の平均賃金は月額金一七万八八七〇円となる。

2  定年制

被告の昭和六二年六月一日施行の就業規則(以下「旧就業規則」という。)は、「職員の定年は満六五歳とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。ただし、定年に達した者でも業務上の必要がある場合、寺院は本人の能力、成績及び健康状態などを勘案して選考の上、新たに採用することがある。」(四六条)と規定していた。

また、被告の平成五年一〇月一日施行の就業規則(以下「新就業規則」という。)は、「職員の定年は満六五歳とし、定年に達した日の翌日をもって自然退職とする。ただし、営繕、食堂または警備業務を行う日給職員の定年は満七〇歳とする。」(四六条一項)「定年に達した場合でも業務上の必要がある場合、寺院は本人の能力、成績及び健康状態などを勘案して選考の上、嘱託として再雇用することがある。」(四六条二項)と規定している。なお、新就業規則には、「新就業規則が施行される時点で、定年をこえている職員については、平成五年一〇月一日付をもって退職する。この場合、退職となる全職員を嘱託職員として採用する。」(一項)「前項にもとづいて嘱託職員として採用された者については、嘱託職員である限り、もと正職員については直前の過去一年間における年収額を、もと日給職員については、直前の日給額をそれぞれ保障する。」(二項)「平成一〇年九月三〇日までに、定年をむかえる正職員が、嘱託職員として採用された場合は、前項の規定を準用する。」(三項)との経過規定がある。

3  原告の定年

原告は、昭和五年九月二五日生まれで、平成七年九月二五日に満六五歳になった。これに先立つ同年八月二五日、被告は、原告に対し、定年のため雇用契約を終了させる旨通知した。これに対して、原告は、被告に対し、雇用契約を継続するよう申し入れた。

二  争点

1  原告と被告との間に、原告を嘱託職員として再雇用する旨の嘱託契約が成立したか。

2  仮に、右嘱託契約が成立したとして場合、被告が原告の再雇用を拒否したことが権利濫用(解約権の濫用)あるいは不当労働行為に当たるか。

三  当事者の主張

1  再雇用契約の成否

(一) 原告

被告はこれまで定年後再雇用を希望する職員を全て再雇用していた。

そこで、定年退職後は特段の欠格事由がない限り再雇用する旨の労働慣行が確立していた(しかも右労働慣行は新就業規則施行後も何ら変更されなかった)から、被告は、原告を含む将来定年に達する労働者に対し特段の欠格事由がない限り嘱託として再雇用する旨の申込みをしていたということができる。

そして、原告は、平成七年八月二五日以降雇用継続を求める通知(再雇用承諾の意思表示)を行ったから、嘱託契約が成立した。

(二) 被告

原告は、平成七年九月二五日定年退職し、被告と原告との間の雇用契約は終了し、以後、被告と原告との間で再雇用契約を締結した事実はないから、原告は被告の嘱託職員の地位にはない。

旧就業規則は職員を社会保険に加入させるために急きょ作成されたものにすぎず、職員に対する周知もなく、定年制などの各条項も完全には実施されなかった。そこで、被告は、定年制を完全に実施するために新就業規則を作成した。

つまり、定年制は新就業規則によって初めて導入されたものである。

そして、新就業規則施行後定年に達した四人のうち、嘱託として再雇用されたのは松尾善吉だけである。なお、そのうち樋口喜久子はアルバイトとして再雇用された。

また、新就業規則施行時に既に定年に達していた者が全員嘱託として再雇用されたのは新就業規則の経過規定に基づくものである。

したがって、定年後再雇用の労働慣行は存在しないから、右労働慣行を前提とした原告の主張は失当である。

2  権利濫用(解約権の濫用)あるいは不当労働行為

(一) 原告

被告は、再雇用者を採用するにあたって特段の欠格事由がある場合に限り再雇用を拒否することができるが、この一種の解約権の行使は、解雇法理と同様にそれを正当化する合理的な理由がある場合にのみ許されると解すべきである。

しかしながら、被告の原告に対する再雇用拒否は、次のとおり、合理的な理由を欠くものである。

被告の職員一三名は、平成三年一二月一四日、「東寺を正常化する会」を結成し、同五年三月二五日、被告の職員一一名は、東寺労働組合を結成し、原告が会計となった。その後原告は委員長に就任している。

被告の原告に対する再雇用拒否は、原告が東寺労働組合の委員長として活動していることを嫌悪したからであって、権利濫用(解約権の濫用)あるいは不当労働行為に当たる。

(二) 被告

被告の責任役員会は、平成四年一月一七日、それまで代表役員であった岩橋政寛(以下「政寛」という。)を解任して砂原秀遍(以下「秀遍」という。)を代表役員代務者に選出し、さらに同年三月八日、代表役員に選任した。そこで、政寛は、同年一月二九日、秀遍を債務者として、代表役員代務者の職務執行停止及び政寛が代表役員として行う職務の妨害禁止の仮処分を申し立てたが、その申立ては却下された。また、政寛は、被告に対し、代表役員であることの地位確認訴訟を提起したが、その請求は棄却された。

さらに、東寺住職鷲尾隆輝(以下「鷲尾」という。)は、平成四年三月一七日、被告の塔頭寺院である觀智院の代表役員であった政寛を解任したが、政寛は引き続き觀智院内に留まった。そして、政寛は、觀智院等を債務者として、代表役員等の職務執行停止及び政寛を職務代表者とする旨の仮処分を申し立てたが、右申立ては却下された。

被告は、觀智院の建物を早急に修繕する必要があったことや觀智院の建物を宗団の弟子育成、教師育成の道場として使用する計画があったことから、平成四年一二月ころから、政寛に対し、觀智院の建物明渡を本格的に求めるようになり、任意の明渡を求めて交渉を重ねていたが、平成五年四月二三日、交渉は決裂した。

そこで、被告は、そのころ、政寛に対し、觀智院の建物明渡を求めて訴訟を提起した。他方、原告は、觀智院の代表役員を名乗っていた政寛から觀智院の総代に任命されたとして平成五年五月八日から觀智院総代を自称するようになった。

以上のような状況の下では、原告は觀智院の建物の明渡に協力するか、少なくとも敵対行為を控えるべきなのに、觀智院の総代を名乗り、觀智院の建物明渡を遅らせるような行動を採ったことから、被告は、原告について嘱託として不適格と判断したものであって、被告が原告と再雇用契約を締結しなかったことについて不当視される理由はなく、不当労働行為にも当たらない。

第三  争点に対する判断

一  再雇用契約の成否について

証拠(甲三ないし一三号証、二六ないし三〇号証、三二ないし三五号証、四三、四四号証、五七、五八号証、乙一ないし七号証、一〇、一一号証、一三ないし二四号証、二六ないし二九号証、三〇号証の一ないし四、三一号証の一ないし四、三二号証の一ないし三、三三号証の一ないし三、三六ないし四〇号証、四一号証の一ないし七、四二ないし四七号証、五一ないし五三号証、五六ないし五九号証、六二、六四号証、証人岩橋寛之、同砂原秀輝の各証言、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  旧就業規則及び定年制

旧就業規則は、昭和六二年に制定されたが、それは、被告の関連会社である有限会社東寺洛南会館が社会保険に加入することになったことから、被告の方でも社会保険に加入するため、急きょ作成されたものであった。

したがって、旧就業規則は、職員には周知されておらず、そこに規定されている定年制についても実施されていなかった。すなわち、職員は定年年齢に達した後も従前どおりの内容で雇用を継続されていた。なお、被告が平成四年五月一〇日付けで職員武籐明美を解雇した際、その根拠として旧就業規則の条文を掲げたことがあったが、旧就業規則について、原告は当時武籐明美を解雇するために急きょ作成したかと思ったというように、原告を含め一般職員は旧就業規則の存在自体全く知らない状況であった。

2  新就業規則施行の経緯

(一) 平成三年一二月一四日、東寺を正常化する会が結成された。

平成五年三月二五日、東寺労働組合(委員長寺坂惠顯(以下「寺坂」という。)、副委員長森田利隆(以下「森田」という。)、書記岩橋寛之(以下「寛之」という。)、会計原告)が結成され、組合は、同月二七日付で、被告に対し、組合が結成されたことを通告するとともに就業規則、給与規定等の公開・閲覧、森田、寛之及び寺坂に対する賃金等の取扱いの是正等を求めて団体交渉を申し入れたが、回答がなかったため、同年四月一二日、団体交渉応諾、就業規則、給与規定等の公開などを求めて、京都府地方労働委員会にあっせん申請をした。

(二) 前記のとおり、被告では定年制は実施されていなかったが、被告としては、僧侶・職員において各世代がバランスよく構成されるよう人材を育成し、教義及び東寺が保有している国宝、重要文化財を次世代に承継するためにも定年制を実施する必要性があった。

また、東寺において当面予定されている文化財の修復事業だけでも三六億円ほどの費用が必要であったが、そのうち半額程度を国庫補助で賄えるとしても、多額な自前費用が必要とされるところ、バブル経済崩壊以降拝観売上収入の減少が見られたことや後述する觀智院のように多額の人件費がかかったことから、文化財の修復費用を捻出することが困難になったため、経費節減の目的でも定年制を実施する必要性があった。

そのような中で組合から就業規則等の公開要求がなされるに至ったため、被告はこの機会に昭和六二年以降の労働基準法の改正内容も取り入れて旧就業規則を改正することに決定した。

(三) 被告代表役員秀遍は、平成五年六月、朝礼において、旧就業規則の改正を行うために同月一四日に職員代表と協議したい旨表明した。

(四) 五月六日、第一回団体交渉が行われたが、被告は、僧侶は労働者ではないから、僧侶が役員をしている組合は認めないとして組合資格を争ったため、組合の申入事項の話し合いはなされなかった。

(五) 五月一四日、被告は、組合員以外の職員(以下「一般職員」という。)代表五人(三浦、橋詰、加藤、白石、前川)に対し、旧就業規則の改正案について、改正される条項を個別に示して逐条的に説明を行った。

また、同日、京都府地方労働委員会において、あっせん員の立会いによる団体交渉が行われ、被告は、組合(参加者副委員長森田、原告、寛之、顧問灘井五郎(以下「灘井」という。))に対し、旧就業規則を交付した上、改正案について一般職員代表に対するのと同様の説明を行った。

いずれの説明会でも、被告は、旧就業規則は職員に適用されてこなかったから、新就業規則を制定して今後はこれを適用して行くつもりである旨説明した。

(六) 五月二六日、被告は、一般職員に対し、改正案について五月一四日と同様の説明を行った。これは、五月一四日の説明が一般職員代表五名に対するものであったため、一般職員全体に広く改正内容を知らせるためのものであった。

(七) 六月二日、京都府地方労働委員会においてあっせんが行われ、組合は旧就業規則改正案についての意見書を手渡した。

組合は、①僧侶も労働者であるから規則を準用するという表現は妥当ではない、②生理休暇は有給とされたい、③新設される「職員は所定の服装を着用して就労しなければならない。職員は寺院の許可なくリボン、ワン章、鉢巻、ゼッケン、ワッペンその他これに類するものを着用して就労してはならない。」「職員は、許可なく寺院施設内において政治活動、社会活動その他これに類する活動をしてはならない。」旨の規定は労働組合対策を意図するもので、就業規則に規定すべきものでなく労使間で協議すべき事項である、④職員の身分・給与・配置等に関する処置は、内局の一方的な判断によらず、本人の釈明や労働組合との協議など民主的な手続を経て行われたい、⑤正職員、臨時職員、嘱託、アルバイト、パートタイマー等は各雇用形態別に意見を聴取されたい、⑥今回の改正は労働組合対策を意図したもので賛成できない旨の意見を表明したが、定年制についての意見は出されなかった。

(八) 六月一二日、第二回の団体交渉が行われ、組合の改正案に対する意見書に基づいて旧就業規則の改正等についてその話し合いがなされた。

組合(参加者寺坂、寛之、原告、灘井)から①雇用形態が多種にわたるので雇用形態別に職員の意見を聞いて欲しい、女子労働者に関する部分は女子労働者に意見を聞いて欲しい、②真言宗の伝授出席を年次有給休暇の枠外にされたい、③組合としては東寺内での組合活動は常識的に節度をもって行うつもりであり、時間内の組合活動その他については労使協議によって行うべきで、組合活動を就業規則で規制するのはなじまない旨の意見・要望が出されたが、定年制についての意見は出されなかった。

被告は、常識的に組合活動を行う件は了解した、雇用形態別に職員の意見を聞き、その上で組合の意見とすり合わせを行い、六月末を目標に就業規則を改正したい旨回答した。なお、交渉の際、砂原秀輝(以下「秀輝」という。)が原告に対し「バカモン、にやにやするな」と発言したことで話し合いが中断する場面があった。

(九) 六月二四日、被告は、一般職員(参加者二九名)に対し、改正案についての説明会を行ったところ、一般職員から①職員は国民の祝日も出勤することが多いので、これに配慮してもらえないかという要望及び②職員が定年退職後に嘱託職員になった場合の給与はどうなるのかという質問がなされた。なお、原告が右説明会に出席しようとしたところ、被告から、組合役員に対しては別個に説明するので退席するように求められた。

(一〇) 六月二五日、第三回の団体交渉が行われたが、旧就業規則の改正については、被告の側で一般職員から前日提出された要望、質問事項に対する具体的な検討がなされていなかったことから、次回に話し合われることとなった。

(一一) 七月一九日、被告は、一般職員(参加者二五名)に対し、前回提出された要望、質問事項に関して①有給休暇とは別に代休を四日付与すること、②新就業規則が施行される時点で定年をこえている者は嘱託職員として採用し、従前の給与を保障する、平成一〇年九月三〇日までに定年をむかえる正職員が嘱託として採用された場合も同様とする旨の経過規定を設けることにした旨説明した。

(一二) 七月二八日、第四回の団体交渉が行われ、被告は、組合に対し、七月一九日と同様の説明を行ったが、組合から経過措置を含めた定年制に対する質問は出されなかった。

(一三) 被告は、一〇月一日、右経過措置及び「国民の祝日に関する法律によって定められた日に勤務した正職員に対して年間四日を限度として代休を与える。」「祝日に勤務した日数が年間四日に満たないときは、その日数に相当する日数を年間の代休付与日数とする。」旨の規定(一八条の二)をも盛り込んだ新就業規則及び新給与規程を実施し、全職員にこれらを配布したが、組合を含め職員から異議が出されることはなかった。

3  新就業規則施行後の再雇用の運用実態

新就業規則施行時にすでに定年をこえている正職員は、木村しな、坪井永七、寺田千太郎、大石善二、三宅和子の五名であったが、全員嘱託職員として採用された。その後、木村しなは平成六年九月三〇日の嘱託期間の満了をもって退職し、嘱託契約の更新はされず、三宅和子は同期間の満了後に新たにアルバイト契約を締結したが、他の者は嘱託契約を更新された。

新就業規則施行時にすでに定年をこえている日給職員は、季扶伊、寺崎ふさの、碧木順連、巴山達南、宮本桂燮の五名であったが、全員嘱託職員として採用された。

新就業規則施行後、正職員のうち樋口喜久子が平成六年七月二五日定年に達したところ、同人は、同月二六日以降、嘱託職員でなく、アルバイトとして再雇用された。なお、組合は、同年九月六日付で、被告に対し、樋口喜久子のアルバイト契約を嘱託契約に是正するよう申入れを行ったが、その中で「六五歳定年制は、従来は実行されていなかったので、今回の新就業規則改訂に伴い実施されることになった経過がある」と述べている。

新就業規則施行後、日給職員のうち、原告、西尾満一、松尾善吉及び田中保が定年に達したが、原告以外は嘱託職員として雇用が継続された。

4  原告の再雇用の拒否

原告が定年年齢に達する平成七年九月二五日に先立つ同年八月二五日、被告は、原告に対し、定年のため雇用契約を終了させる旨通知したところ、組合は、同年九月二一日、原告を再雇用するよう申し入れたが、被告は、九月二二日開催された団体交渉において、原告は、後記5のとおり、觀智院をめぐる争いにおいて総代を名乗り政寛に追随し、觀智院の明け渡しを遅らせ、觀智院の修繕や道場計画を遅らせたという理由で嘱託としての再雇用はできないと回答した。

また、被告は、一〇月一六日付けで組合に対し、「九月二二日の団体交渉で答えたとおり、定年前の原告の行動からみて、嘱託としての再雇用は不適切と判断したところで、再考の余地なしというのが責任役員の意思である」旨回答した。

5  觀智院をめぐる争い

平成三年三月ころ、被告が経営に参画する洛南高等学校の校長で、被告の責任役員である生姜塚慶悟(以下「生姜塚」という。)が、大豆相場に手を出して五〇〇〇万円の借金を抱えたため、これを被告が肩代わりして返済した旨の新聞記事が掲載された。

平成三年当時、被告の代表役員は政寛であり、森泰長(以下「森」という。)、秀遍、渥美義久(以下「渥美」という。)、秀輝及び生姜塚が責任役員であったが、政寛は、森及び秀輝が生姜塚の借金返済のため被告の公金を不正に支出したとして非難したことから、政寛と他の責任役員との間に深刻な対立関係が発生するようになった。

政寛は、平成四年一月一七日開催された責任役員会で、代表役員を解任され、秀遍が代表役員代務者に選任され、さらに三月八日開催された責任役員会で代表役員に選任された。

しかし、政寛は、その後も代表役員として行動したため、朝礼において、二人の代表役員が並列するといった異常事態が発生し、被告事務に混乱が生じた。

政寛は、平成四年一月二九日、秀遍に対し、代表役員代務者職務執行停止等の仮処分の申立てを行ったが、却下され、さらにその即時抗告も平成四年一二月七日棄却された。政寛は、被告に対し、代表役員地位確認請求訴訟を提起したが、平成五年一一月一九日棄却され、その控訴も平成六年一二月二日に棄却された。

ところで、東寺敷地内にある觀智院は、従前歴代東寺住職もしくは東寺において重責のある者の住坊とされてきた被告の塔頭寺院であり、その建物は被告の所有である。政寛は、昭和五一年五月六日、觀智院の代表役員に任命され、以降觀智院に居住し、拝観事業等に従事してきたが、これは当時東寺住職であった鷲尾が石山寺座主であったため觀智院住職になるのは支障があるということで、被告代表役員となった政寛が觀智院住職の地位も託されたものであった。

觀智院における責任役員等の選任手続については、①代表役員は東寺真言宗の管長が任命する、②代表役員以外の責任役員は、総代の意見を聴き代表役員が選任する、③総代を三人置き、総代は壇信徒のうちから代表役員が選任すると規定されている。

平成四年三月一七日、東寺真言宗の管長鷲尾は、責任役員森、渥美、秀輝による解任申請に基づき、政寛が被告代表役員たる地位を解任されたこと等を理由に觀智院の代表役員から解任し、自ら代表役員に就任し、その代表役員代務者に秀遍を選任した。

被告は、同年一二月ころから、政寛に対し、觀智院の客殿等に雨漏り等が認められ、早急な修繕を要すること及び平成五年四月二九日から觀智院の拝観業務を停止し、東寺真言宗団の子弟教育の道場、更に教師養成の道場として使用する計画があったことから、觀智院の明け渡しを求めるようになった。觀智院及び政寛はそれぞれ代理人弁護士を介して和解交渉をすすめたが、政寛の退職慰労金の折り合いがつかず、同年四月二三日、交渉は決裂したため、被告は、平成五年、政寛に対し、觀智院の明渡等請求訴訟を提起した。

政寛は、觀智院らに対し、代表役員等職務執行停止の仮処分を申し立て、代表役員解任の無効を主張するとともに、平成五年四月三〇日ころ、原告ら三名を信徒総代に選定し、同年五月八日、原告ら総代の意見を聴いた上、寛之、森田ら四名を責任役員に選任して、觀智院と対抗するようになった。同日、政寛及び原告ら三名は、東寺真言宗宗務支所宛に信徒総代届及び責任役員任命届を提出した。

東寺真言宗審査委員会は、平成五年六月八日、政寛に対し、東寺真言宗僧侶としての身分を喪失させ、僧籍を除名する処分を下し、觀智院を明け渡すように求めた。

平成五年一一月一五日、右觀智院代表役員等職務執行停止の仮処分は却下されたが、觀智院の明け渡しは、前記觀智院明渡等請求訴訟において平成七年五月九日成立した和解の結果、同年の夏ころにやっと実現した。

二  以上認定した事実を前提に再雇用契約の成否を検討する。

1  そもそも定年後の再雇用は新たな労働契約の締結であるから、その内容につき、使用者労働者双方の合意が必要とされ、使用者は労働者を再雇用するか否かを任意に決定し得るのが原則である。

しかしながら、就業規則等で定年退職者に特段の欠格事由がない限り再雇用される権利を与えている場合、あるいはそのような取扱いが労働慣行として確立され、黙示の契約内容となっていたと認められる場合には、定年退職者には再雇用契約の締結を求める権利が発生すると解するのが相当である。

また、定年退職した場合は、特段の欠格事由がない限り、直ちに嘱託として再雇用するという労働慣行が確立していると認められる場合には、使用者において再雇用の申込みを明示的にしなくても、労働者が定年退職後に再雇用の意思表示をすることにより、直ちに当該労働者と使用者の間に嘱託としての再雇用契約が成立するものと解するのが相当である。

2  原告は、被告において定年退職した場合は、特段の欠格事由がない限り、直ちに嘱託として再雇用するという労働慣行が確立していると主張するので、検討する。

前記一1、2で認定したとおり、職員の定年は旧就業規則で満六五歳と規定されていたが、旧就業規則は社会保険に加入するため急きょ作成されたものであり、職員にも周知されず、そこに規定されている右定年制も実施されなかったため、職員は満六五歳をこえても従前どおり雇用されてきたこと(新就業規則施行前は職員が希望する限り(特段の事由がない場合は)雇用する旨の労働慣行が存在していたこと)、そこで被告は、労働組合による旧就業規則の閲覧要求の機会にその改正作業にかかり、その中で定年制を明記し、これを今後実施していくことを前提に条項を検討し、組合及び一般職員にわけて数回にわたり説明会を開催し、意見を求めたうえ、最終的に異論が出なかったため、平成五年一〇月一日から新就業規則を施行し、定年制を実施したことが認められる。

すなわち、従前の職員が希望する限り(特段の事由がない場合は)雇用する旨の労働慣行は新就業規則の施行によって変更されたものと認められる。

なお、被告の定年制実施については、前記一2(二)で認定したとおり、教義及び国宝、文化財の承継のため職員の年齢構成を適正にするとともに経費を節減するためになされたもので、その必要性は認められるし、定年年齢も正職員につき満六五歳、日給職員につき満七〇歳と一般企業の定年水準よりも高く定められていること及び経過措置を設けて定年制実施時に定年年齢に達している労働者にも配慮していることを考えると内容的に合理的といえるし、前記一2(五)ないし(一二)で認定したとおり、職員及び組合に対して数回にわたって説明会を開き、就業規則の改正点を条文ごとに逐次説明していること及び職員及び組合から異論は出ていないことを考えると手続的にも適正であったといえる。

原告は、これに対し、被告は組合に対する旧就業規則の改正に対する説明会の中で、本人が希望する限り(特段の欠格事由がなければ)定年後当然に再雇用するかのごとき説明を行った旨主張し、証人寛之の証言及び原告の供述中にこれに沿う部分があるが、そもそも旧就業規則改正の目的の一つとして定年制を実施することがあったのだから、それと矛盾するような説明を被告が行ったとは考え難いこと、また一般職員からの質問要望を受けて新就業規則の経過措置が新たに定められ、その内容として新就業規則施行時点ですでに定年年齢をこえていた者については、施行時点で嘱託社員として採用する旨規定したことからすると、定年後当然再雇用されることが前提になっていないから施行時点で定年年齢をこえている者については雇用契約が終了するのではないかという疑義が生じるため右経過規定を付加したと解するのが合理的であることなどを総合すると、いずれも信用することはできない。

そうすると、被告において定年制が実施されたのは、新就業規則施行の平成五年一〇月一日以降ということになるから、定年後再雇用の労働慣行が確立しているか否かについても、それ以降の再雇用の運用実態を検討することになるところ、原告が定年退職したのは平成七年九月二五日であって、いまだ労働慣行が確立するといえるほどの長期間が経過しておらず、しかも、右時点でさえ前記一3で認定したとおり、定年退職者全員が嘱託として再雇用(あるいは嘱託契約の更新が)されているわけではないことを考えると、被告において定年後再雇用の労働慣行が確立していたとは認められない。

したがって、右労働慣行の確立を前提とした原告の再雇用契約の成立の主張は理由がないし、その他原告と被告との間に再雇用契約が成立したとの主張立証はない。

三  以上によれば、被告が原告を嘱託職員として採用していない本件にあっては、その余の点について判断するまでもなく、原告の主張はいずれも理由がない。

(裁判官大澤晃)

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